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狂言 馬盗人 大江小波

 これはアラビヤンナイトの (うち) に ある、 (いた) つ て (みぢか) (はなし) である。 (いま) それを狂言体 (きやうげんてい) 敷衍 (ふえん) して、学校劇 (がくかうげき) の一 (しゆ) にもと (こゝろ) みた。
  (もつと) 従 来 (じうらい) 狂 言 (きやうげん) には、かう () 続物 (つゞきもの) () い。が、 (おこな) つて出来 (でき) ない (こと) もあるまいと (おも) ふ。
 言語 (げんご) 多 少注意 (たせうちうい) して、 (あなが) 古代 (こだい) 狂言語 (きやうげんご) (もち) ひない。それでも (これ) (えん) ずる場合 (ばあひ) 尚解難 (なほわかりがた) (うれひ) があれば、当世 (たうせい) 用語 (ようご) (あらた) めてもよからう。只 口調 (たゞくてう) さへ (かは) らぬならば。
 服装 (ふくさう) と ても、 () い て狂言風 (きやうげんふう) に する必要 (ひつえう) は あるまい。と () つ て、此所 (こゝ) に は原書 (げんしよ) 挿 画 (さしゑ) 其 儘入 (そのまゝい) れたが、こ れはほんの参考 (さんかう) ま でに () て、 (なん) とか工夫 (くふう) したらよからう。
  (うま) () (もの) も、あまり手数 (てすう) (えう) しないで、それと合点 (がてん) させる工夫 (くふう) 出来 (でき) れば (みやう) だ。
  () (かく) 度試 (どこゝろ) みてくれたまへ!

  登場人物

盗人 (ぬすびと)
(おなじく)
百姓 (ひやくせう)
百姓女房 (ひやくせうにようぼう)
(うま)
甲太 (かうた)
乙二 (おつじ)
丙作 (へいさく)
(てい)

    上 街道筋

   《盗人甲太 (ぬすびとかふた) 乙 二 (おつじ)  打 連 (うちつ) れて登 場 (とうぢやう)
両人謡『 (るゐ) (とも) なる悪党 (あくとう) の/\、今日 (けふ) (ぬす) みに (いそ) がん。
[甲太] 此辺 (このあた) り に住居 (すまゐ) (いた) す、 (こゝろ) (すぐ) () (もの) 御座 (ござ) る。
[乙二] (それがし) (おな) (やう) に、 (こゝろ) (ゆが) んだ (もの) 御座 (ござ) る。
[甲太] さても此中 (このぢう) 仕 合 (しあはせ) (わる) うて、賭場 (どば) () れば () () がるゝ、窃盗 (ぬすみ) () れば (いぬ) () はるゝ、イヤ苦々 (にが/゛\) しい (こと) 御座 (ござ) る。それにつき、今日 (けふ) 仲間 (なかま) 乙二 (おつじ) (かた) らうて、 (なに) か一仕事 (しごと) せうと (おも) うて、只今呼 (たゞいまよ) うで (まゐ) つた。まづ談合 (だんがふ) のせう。・・・・・・イヤなう/\! 乙 二 (おつじ) () やるか?
[乙二] これに () る /\!
[甲太] オウよう () た な。
[乙二] イヤようは () ぬ。此 中 (このちう) からの不 仕合 (ふしあはせ) に、 () (もの) 皆取 (みなと) () げられ、 (ねら) (もの) () () らず、散々 (さん/゛\) 仕末 (しまつ) ぢやワ。
[甲太] その (こと) ぢ や。今日 (こんに) ツ た其方 (そなた) (さそ) ふたも、 (べつ) (こと) では () い。 () (やう) 身共 (みども) とても、 (かた) (ごと) くの不仕合 (ふしあはせ) ぢやに () つて、此上 (このうへ) 其方 (そなた) (ちから) () はせ、一 () にクワツと大仕事 (おほしごと) をして、この (はる) (たの) しう (おく) らうと (おも) ふが。 (なに) とぢや?
[乙二] それは一 (だん) (こと) ぢや。シテそれには (なん) 目的 (めあて) があるか?
[甲太] まだ一 (かう) 目 的 (めあて) () い。さりながら、此所 (こゝ) (のぼ) (くだ) りの往来 (わうらい) ぢや、此辺 (このへん) (しばら) () たうならば、おつゝけ () (とり) (かゝ) らうも () れぬ。
[乙二]  (なん) ぢ や () (とり) が?
[甲太] なか/\! 
[乙二] すれば其方 (そなた) 此 所 (こゝ) () て、小鳥網 (ことりあみ) でも () らうぢやナ?
[甲太] 白痴 (たはけ) (こと) () やるまい。 () (とり) とは (まこと) (とり) では () い。財宝 (ざいほう) 沢山 (たくさん) () つた、旅人 (たびゞと) (こと) () ふのぢやワやイ。
[乙二]  () (ほど) これは () うであつたナ。さらばこれにその (とり) () たうか?
[甲太]  (たび) 道 連 (みちづれ) () ふが、 (ぬすむ) にも () れは大切 (だいじ) ぢや。かうして二人 (ふたり) (かゝ) らうなら、何程強 (なにほどつよ) (をとこ) でも、 () つて (をさ) へて (うご) かす (こと) では () い。

馬盗人 挿絵1

[乙二] 其方 (そなた) (まへ) から (かゝ) れば、 (それがし) (うしろ) から (むか) ふ。 (それがし) (みぎ) () けば、其方 (そなた) (ひだり) () たしめ!
[甲太] 其段 (そのだん) ナ ぬかる事とでは () い。 が、まづそれまでは小陰 (こかげ) (かく) れて、心静 (こゝろしづ) かに仕合 (あはせ) () たう。
[乙二] 心得 (こゝろえ) た。 エイやつとな!
[甲太] エイやつとな!
   《ト、それにて両人小陰 (りやうにんこかげ) (かく) れ る。 (ところ) 百 姓丙作 (ひやくせうへいさく) (うま) () いて登場 (とうぢやう)
[丙作] 山一 (やまひと) 彼 方 (あなた) 住 居 (すまゐ) (いた) す、正直者 (しやうぢきもの) 百姓 (ひやくせう) 御座 (ござ) る。今日 (こんに) つた隣村 (となりむら) (まゐ) り、 () (うま) (もと) めて御座 (ござ) れば、只今帰途 (たゞいまかへりみち) 御座 (ござ) る。女房 (をなごども) (さだ) めし () () ねてゞあらう。まづ (いそ) いで (かへ) らう。------イヤまことに、此 程 (このほど) 豊 年 (ほうねん) (つゞ) いて、身共 (みども) (いへ) (こと) 外豊 (ほかゆたか) () つた。されば (あたら) しう (うま) () () れて、今年 (ことし) からは田畠 (でんぱた) を、この (うま) (たが) かす (こと) 御座 (ござ) る。 (うま) 爪白 (つましろ) 三才駒 (さいごま) (いち) にも二 (ひき) とは () えぬ逸物 (いちもつ) ぢや。 () () 今年 (ことし) (うま) (とし) (はる) (はじめ) 春駒 (はるこま) は、 (ゆめ) () てさへ () いとや (まを) (こと) ぢや。まいて身共 (みども) () きながら () ふた。 (さだ) めし () (うん) () くのであらう。さて/\ (よろこ) ばしい (こと) 御座 (ござ) る。
   《と、 (しき) り に (よろこ) ぶ。 (これ) より先以前 (さきいぜん) 二人 (ふたり) は、小陰 (こかげ) にて (かた) () ふ。》
[甲太] あれに百姓 (ひやくせう) () えて、 (うま) () いて () るワ/\!
[乙二] さらば先刻 (さいぜん) 手 筈 (てはず) (とほ) り、 (をど) (かゝ) つて () いでやらうか。
[甲太] イヤ () て /\! あの百姓 (ひやくせう) () いだ (ところ) で、骨折損 (ほねをりぞん) 草臥儲 (くたびれもう) けぢや。それよりもあの (うま) () らう。
[乙二]  (うま) () つて (なに) とする?
[甲太] あの儘市 (まゝいち) () るならば、 () ぐに (かね) () (こと) ぢや。
[乙二] なにさまそれは一 (だん) (こと) ぢや。シテ (なん) として (あれ) () らうナ?
[甲太]  (いた) (やう) がある。まづ () かしめ!
[乙二]  (なに) と ぢや?
   《ト、これにて甲太 (かふた) 乙 二 (おつじ) (さゝや) く、乙二頻 (おつじしき) りに点頭 (うなづ) き、》
[乙二] イヤこれは一 (だん) (こと) ぢや。すれば其方 (そなた) (うま) () つて?
[甲太] これ (しづか) に さしめ!
   《ト、両人足音 (りやうにんあしおと) (しの) ば せ、丙作 (へいさく) () () ぐる (うしろ) へまはり、甲太 (かふた) まづ (うま) 口綱 (くちづな) () いて、 (うま) 乙二 (おつじ) (わた) し、 (つな) () ばやく () (くび) () きつけ、 (うま) (こゝろ) にて () かれゆく。》
[甲太] ソレ/\!
   《ト、と目配 (めくはせ) す る。乙二心得 (おつじこゝろえ) 、 その (うま) () いて、 (いそ) いで () げてしまふ。》

    中 百姓家

   《女房 (にようばう) (てい) 一人夫 (ひとりをつと) (かへ) りを () () る》
[お丁]  (わらは) 此 家 (このや) 女 房 (にようばう) 御 座 (ござ) る。 (あるじ) 今朝 (けさ) から馬買 (うまか) ひにと () うて、隣村 (となりむら) まで (まゐ) つて御座 (ござ) るが、今以 (いまもつ) (かへ) りませぬ。 (つね) から正直 (しやうぢき) (ひと) 御座 (ござ) れば、よもや道草 (みちくさ) 御食 (おく) やるまい。やがて (もど) らせられるほどに、ちと此 辺 (このへん) () (きよ) めて、 (まぐさ) 用意 (ようい) (いた) しませう。
   《ト、 () (はたら) く。此所 (このところ) 丙作 (へいさく) (うま) (こゝろ) にて甲太 (かふた) () いて () へる》
[丙作] なう/\女房 (をなごども) () るかやア!
[お丁] あの (こゑ) 此 方 (こち) (ひと) ぢや。今戻 (いまもど) らせられましたか?
[丙作] 今戻 (いまもど) つ たぞ、 (もど) つ たぞ!
[お丁] よう (もど) ら せられました。 (うま) (なに) とで御座 (ござ) りました?
[丙作] オ、 (うま) () うて () た。 (しか) 爪白 (つまじろ) の三才駒 (さいこま) (また) (いち) には () られぬ逸物 (いちもつ) ぢや。
[お丁] シテそれは () れ に () ります る?
[丙作] ソウレそれに () る ワ。
   《ト、 (つな) () いて (うま) (すゝ) ませ、 (はじ) めて甲太 (かふた) () (きも) () す。》
[丙作] ヤアこれは何事 (なにごと) ぢ や?  (うま) (ひと) () () つたワ。
   《ト、 (つな) (なげ) () 退 () く。お (てい) (あき) れた (てい) 。》
[お丁] さればこれが (うま) 御 座 (ござ) るか? たしかに人 間 (にんげん) () ゆるものを・・・・・・・・・・・・
[丙作] エイ此所 (こゝ) (やつ) ! おのれは (うま) 人間 (にんげん) か?
   《ト、丙作 (へいさく) は また () () る。》
   《此時甲太 (このときかふた) は、 さも神妙 (しんべう) ら しく (なみだ) (はら) ひ、》
[甲太] ヤレ/\ (うれ) し や!  (はじ) め は人間 (にんげん) 御 座 (ござ) りましたが、此 間 (このあひだ) から (うま) () り、又人間 (またにんげん) () りました。
[丙作] ナニ (はじめ) 人 間 (にんげん) ぢやと () やるか?
[甲太] その (こと) 御 座 (ござ) りまする。この因 縁 (いんねん) 御 存 (ごぞん) () くば、 (さだ) めて不思議 (ふしぎ) 思召 (おぼしめ) されませう。まづ御 亭主 (ごていしゆ) 御 内儀 (ごないぎ) も、心 静 (こゝろしづか) () いて () だされい! 元私 (もとわたくし) 人間 (にんげん) の、 (しか) 由緒 (よし) ある (もの) 一人子 (ひとりご) 御座 (ござ) りましたが、あまりに (おや) (あま) へまして、行儀作法 (ぎやうぎさはふ) (すこ) しも (わきま) へず、 (おや) 言葉 (ことば) (もち) ひませいで、 () ちながら () ひ、 () ながら () み、我儘気儘 (わがまゝきまゝ) (はたら) きました (とが) で、神様 (かみさま) 御罰 (おばつ) () け、 () きながら畜生道 (ちくしやうだう) () ちて、かやうな (うま) () つて御座 (ござ) る。
[丙作] ヤレ/\それは () (どく) な!  (なん) 女房 (をなごども) () きやつたか?
[お丁] さても () (どく) (こと) 御座 (ござ) る。
[甲太] さりながら。かやうな姿 (すがた) () り ましてからは、如是畜生発菩提心 (によぜちくしやうほつぼだいしん) 、一念発起致 (ねんほつきいた) しまして、重荷 (おもに) () ひ、遠 路 (とほみち) () せ、ついに (ひと) (さか) らはず、よく () (はたら) きました (ほど) に、神様 (かみさま) 不憫 (ふびん) 思召 (おぼしめ) され『汝不孝 (なんぢふかう) (とが) (よつ) 今畜生 (いまちくせう) (おと) いたれど、改心 (かいしん) 兆見 (しるしみ) えたる (あひだ) やがて (つみ) (ゆる) さうず。』 (たゞ) 人間 (にんげん) () () くば、 (これ) より (いち) () でゝ、 () まへて正直 (しやうぢき) (ひと) () はれよ。さればその (ひと) (かしら) に、神宿 (かみやど) つて (なんぢ) () を、 (もと) 人間 (にんげん) (もど) さうぞ。』と、かう () ふお (つげ) () だされてござる。

馬盗人 挿絵2

[丙作] さては身共 (みども) () ふたによつて、其方 (そなた) 人間 (にんげん) (もど) れたとお () やるか?
[甲太] その (とほ) り で御座 (ござ) り まする、これも皆此方様 (みなこなたさま) の、御 心 (おこゝろ) (すぐ) () らせらるればこそ。 (おも) へば (いのち) (おや) 御座 (ござ) る。
[丙作] ナニト女房御聞 (をなごどもおきゝ) やつたか。 (ひと) 正直 (しやうぢき) にしたいものぢやなア。
[お丁] その (とほ) り で御座 (ござ) り まする。------さりながら此方 (こち) (ひと) !  此方 (こなた) (いち) 馬買 (うまか) ひにこそ () け、人買 (ひとか) ひには () かせられますまい。
[丙作] 其段 (そのだん) 其 方 (そち) () (とほ) りぢや。
[お丁] さればこの (ひと) (うち) () いても、 (うま) (やう) には使 (つか) はれますまい (ほど) に、此儘放 (このまゝはな) しておやりなされい!
[丙作]  () は るればそれも () う ぢや。イヤなう/\、 (うま) ぢ や (ひと)
[甲太]  (わたくし) 御 座 (ござ) りまするか?
[甲太 (ママ) ] 如何 (いか) にも其方 (そなた) ぢや。
[甲太] ナニ御用 (ごよう) 御 座 (ござ) りまする?
[丙作] 不思議 (ふしぎ) (えん) 其方 (そなた) () れて (もど) つたが、それも (うま) (おも) ふたればぢや。さるに其 方 (そなた) (うん) () さは、身共 (みども) (やう) 正直者 (しやうぢきもの) () はれて、 (もと) 人間 (にんげん) にお () りやつた。この (やう) なめで () (こと) はあるまい。 () いては、もはや此所 (ここ) (よう) () (ほど) に、はやう (いへ) (もど) つて、親人達 (おやびとたち) (よろこ) ばせてあげらい!
[甲太] 御親切 (ごしんせつ) (おほ) せられまするに (よつ) て、尚更嬉涙 (なほさらうれしなみだ) がこぼれまする。さりなが ら、とてもの御親切序 (ごしんせつつひで) に、 ちと御願 (おねが) 申 度 (まをした) (こと) 御座 (ござ) りまする。
[丙作]  (なん) ぢ や (ねがひ) と は?
[甲太] 御覧 (ごらん) (とほ) (わたくし) は、 (うま) から人間 (にんげん) () りました (ばか) りで、まだ人間 (にんげん) 食事 (しよくじ) (いた) しませぬ。これから (おや) (ところ) へまゐりますれば、 (なん) なりとも (おも) (まゝ) 御座 (ござ) れど、それ (まで) (はら) 覚束無 (おぼつかな) 御座 (ござ) る。
[丙作] なるほどそれは () う ありさうな (こと) ぢ や。イヤなう/\女房 (をなごども) !  はやうこの (ひと) 食 事 (しよくじ) (しん) ぜい!
[甲太 (ママ)]  (うま) () ると (おも) へばこそ、 (まぐさ) 用意 (ようい) (いた) しましたれ、 (ひと) 食物 (くひもの) 用意致 (よういいた) しませなんだ。
[丙作] 身共 (みども) 食 料 (しよくれう) () (はず) はあるまい。
[お丁] それならば御座 (ござ) り まするとも!
[丙作] それを () せ、 それを () せ!
[お丁] 心得 (こゝろえ) ま した。
   《ト、お丁膳部 (ていぜんぶ) () して甲太 (かふた) (すゝ) める。甲太神妙 (かふたしんめう) (れい) をして、》
[甲太] これは (かたじけな) 御 座 (ござ) る。イヤ、此 度 (こんど) こそは人 間 (にんげん) らしう、かう行 儀 (ぎやうぎ) (たゞ) して () べまする。
[丙作] それがよい/\!
[甲太] 久々 (ひさ/゛\) (いたゞ) きまする (ゆゑ) か、人間 (にんげん) 食物 (くひもの) はまた格別 (かくべつ) 御座 (ござ) る。
[丙作]  (こめ) (まぐさ) 比較物 (くらべもの) ではおりない。
[甲太] アヽ (うま) や の/\!  (いき) () がずに三 (はい) まで (まゐ) りました。
[丙作] よう (まゐ) り つた。
   《ト、此中食事 (このうちしよくじ) () むと、甲太 (かふた) また真顔 (まがほ) () り、》
[甲太] さて、御供養 (ごくやう) () けまして、 (はら) は十 (ぶん) () りましたが、・・・・・・さて、・・・・・・ まだ・・・・・・ちと () ら ぬ (ところ) 御 座 (ござ) ります。
[丙作]  () ら ぬとは?
[甲太] 御覧 (ごらん) (とほ) (わたくし) は、 (いま) まで (うま) 御座 (ござ) りましたに () つて、 (かね) () (もの) 持合 (もちあは) せませぬ。 (これ) から親元 (おやもと) (まゐ) りますれば、 (たゞ) ちに御返済致 (おかへしいた) しまする (ほど) に、路用 (ろよう) () して () だされい!
[丙作]  (なに) さ ま (はだか) 道 中 (だうちう) () るまい。路用 (ろよう) () して (しん) ぜやう。
   《ト、丙作懐中 (へいさくくわいちう) より (かね) () し て (わた) す。甲 太推戴 (かふたおしいたゞ) き、》
[甲太] さても/\御親切 (ごしんせつ) 人々 (ひと/゛\)かな! 神様 (かみさま) 照覧 (せうらん) あれかゝる積善 (せきぜん) (いへ) にこそ、屹度余徳 (きつとよとく) (むく) ふべし。
   《ト、 () (あが) り、一寸陰 (ちよつとかげ) (した) () して、 (あと) 神妙 (しんめう) に》
[甲太] さらばもう (まゐ) り まする。
[丙作] もう御行 (おゆ) き やるか?
[お丁] 路地 (ろじ) () をつけて () かせられい。
[甲太] 有難 (ありがた) 御 座 (ござ) る。おさら ば/\!
[丙作][お丁] さらば/\!

    下 馬市場

   《 (はじ) (おと) 二、以前 (いぜん) (うま) () きて登場 (とうぢやう)
[乙二]  () (とり) をと () ちかけたる (ところ) に、 (おも) () けぬ (うま) () () れて御座 (ござ) る。まづこの市 場 (いちば) () () ゑて、買人 (かひて) () 高価 (たかね) () りつけ、大儲 (おほもうけ) (いた) さうと (ぞん) ずる。それにつけても、甲 太 (かふた) (なん) とした (こと) ぢやゝら、首 尾 (しゆび) よう馬 主 (うまぬし) をだま しおうせて、無 事 (ぶじ) (かへ) つて () ればよいが。また途 中 (とちう) 見 破 (みやぶ) られて、 (から) () () せられうならば、近 頃気 (ちかごろき) (どく) (こと) 御座 (ござ) る。
   《此所 (こゝ) 以 前 (いぜん) 甲 太 (かふた) () 酒樽 (さかだる) () ち、 (いそ) (あし) () () る。》
[甲太] なう/\ (おと) 二、 () やるか、 () やるか?
[乙二] オ丶、あれは甲太 (かふた) (こゑ) ぢや。
[甲太] ナウお () や るか?
[乙二] これに () る。 これに () る。
[甲太]  () や つたか?
[乙二]  (もど) り やツたか?
[甲太] まづ (よろこ) う でくれい、この (とほ) 無 事 (ぶじ) (もど) つた。
[乙二] まんまと馬主 (うまぬし) を だまいてナ?
[甲太] だまいたも、/\、 () か ら () までだ まし () いて くれた。まづ () け イ、かうぢやワ。------先刻其方 (さ いぜんそなた) (うま) (わた) いてからは、 (それがし) (うま) (かは) つて、彼奴 (きやつ) (なは) () かれて () ツたが、 () (ほど) にはや彼奴 (きやつ) (いへ) () た。其時馬主 (そのときうまぬし) は、 (はじ) めて (それがし) 心付 (こゝろづ) いて、『おのれ何 者 (なにもの) ぢや』 といきまいた。某少 (それがしすこ) し も (さわ) が ず、 (よろ) 神 妙 (しんべう) にふるまうてさ め/゛\と (な みだ) (な が) し、仔細 (し さい) あつて (そ れがし) () きながら畜生道 (ちくしやう だう) () ちましたと、 () にも正直 (しやうぢき) 御方 (おかた) () はれ、その余徳 (よとく) (つみ) (ほろ) びて、また人間 (にんげん) (もど) りました、この (やう) (うれ) しい (こと) 御座 (ござ) らぬと、事実 (まこと) しやかに () べたれは、彼奴 (きやつ) (つゆ) ほども (うたが) はず、この (やう) なめで () (こと) () いとあつて、女房 (にようば う) にも申付 (ま をしつ) け、 (ね んご) ろに (そ れがし) をもてないて、その上 路用 (うへろよう) まで十 分 (ぶん) () れた。 (なん) とよい首尾 (しゆび) であらうが!
[乙二] イヤ出来 (でか) い た/\! してその () に あるは (なん) ぢ や?
[甲太] これは其方 (そち) 土 産 (みやげ) (おも) うて、今途 (いまみち) () うて () たのぢや。
[乙二]  (かさ) ね /\出来 (でか) () つた。
   《ト、此中甲太 (このうちかふた) (たる) () け、》
[甲太] まづ (いは) う て一盞参 (さんまゐ) ら う。
[乙二] 下地 (したぢ) (すき) なり御意 (ぎよい) () しぢや。
   《ト、 (これ) よ り酒盛 (さかもり) () る。》
[甲太] さて其方 (そち) 市 場 (いちば) () て、まだ (うま) () れなんだか?
[乙二] 先刻 (さいぜん) か ら買人 (かひて) () つたが、ちと時 刻 (じこく) がおくれ たと () え て、一人 (いちにん) () ひに () (もの) () い。
[甲太] それならば (いそ) ぐ に (およ) ば ぬ。今日 (けふ) (もら) ふた路用 (ろよう) があれば、これを資 本 (もとで) 賭 博 (てなぐさみ) 出 来 (でく) る。
[乙二] さば明日 (あす) ま で () つ て、 (うま) 高 価 (かうね) () つてこまさう。
[甲太] その (とき) は また鱈腹飲 (たらふくの) む るワ。その前祝 (まへいは) ひ にまづ (かさ) ね イ。
[乙二]  () ふ にや (およ) ば う。其方 (そなた) (かさ) ねイ。
   《ト、 (これ) よ り (さか) ん に () () はし、次第 (しだい) (ゑひ) のまはるこなし。》
[甲太] アヽ心地好 (こゝちよ) や /\! 久々 (ひさ/゛\) () (さけ) は、 (ゑひ) 亦格別 (またかくべつ) なものぢや。
[乙二] アヽ () ふ たワ/\! 心地好 (こゝちよ) () ふた。とてもの (つひで) に一トさし () はうか?
[甲太] それは一 (だん) (こと) ぢや。
   《ト、此所 (こゝ) に て狂言 (きやうげん) 小 謡 (こうた) (もち) ひて、 (うた) () (こと) あるべし。
    その () に、 (うま) (なは) をはなれ、道 草 (みちくさ) () ひに () 両人少 (りやうにんすこ) しも心 付 (こゝろづ) かぬ (てい)
     此所 (こゝ) 以 前 (いぜん) 丙 作 (へいさく) 、また (うま) () ひに () る。》
[丙作] 先刻 (さいぜん) 百 姓 (しやう) 御 座 (ござ) る。今 日 (こんに) つた馬 市 (うまいち) () て、逸物 (いちもつ) 匹買 (ぴきか) うて御座 (ござ) るが、 (それがし) 正直 (しやうぢき) 功徳 (くどく) (よつ) て、 (みち) から (ひと) () つて御座 (ござ) る。さりながら、 (うま) () うては不自由 (ふじいう) 御座 (ござ) (ほど) に、 () れより (ふたゝ) (いち) (まゐ) つて、 (かは) りの (うま) (もと) めやうと (ぞん) ずる。まづ (いそ) いで (まゐ) らう。------イヤまことに、今 日 (けふ) ほど不 思議 (ふしぎ) () 御座 (ござ) らぬ。 (うま) かと (おも) へば (ひと) () つて、 (ひと) (うま) () つた (はなし) () ふ。年代記 (ねんだいき) にも () かなんだ (こと) ぢや。 () るほどにはや市 場 (いちば) ぢや。何 卒似合 (どうぞにあ) は しい (うま) () てくるればよいが・・・・・・
   《ト、 () ま はして、 (はじ) め て以前 (いぜん) (うま) 心付 (こゝろづ) き、》
[丙作] や、さればこそこれに一匹云 (ぴきを) るワ。まづ毛色 (けいろ) () や う。
   《ト、 (そば) (よつ) てよく () ながら、》
[丙作] これは如何 (いか) (こと) !? 先刻 (さいぜん) (うま) にようも () 御座 (ござ) る。イヤ、 () たとは (おろ) か、毛並 (けなみ) () ひ、爪色 (つまいろ) () ひ、 (しやう) (もの) その (まゝ) 御座 (ござ) る。さては先 刻 (さいぜん) (をとこ) が、また何 所 (どこ) でやら立 食 (たちぐひ) をし て、お (ばつ) () けたものでがな・・・・・・
   《ト、 (うま) (みゝ) (くち) () せ、》
[丙作] なう/\! 其方 (そなた) 先 刻 (さいぜん) (ひと) であらうな!
   《 (うま) 点 頭 (うなづ) (こと) あり、》
[丙作] さればこそ点頭 (うなづ) く は! 先刻 (さいぜん) あ れほど () う て () くに、 また行儀 (ぎやうぎ) (わる) くするとは、 () へす/\も (あさ) ましい (ひと) ぢや。イヤ、今更何 (いまさ らなに) () うても、 (うま) (みゝ) 念仏 (ねんぶつ) ぢや。さりながら、其 方 (そ なた) 代 物 (だ いもつ) はもう (は ら) うてある (ほ ど) にこのまゝ () いて () んでも大事 (だいじ) あるまい、さア () やれ/\!
   《ト、その (うま) () いて () かうとする。此 時以前 (このときいぜん) 両 人 (りやうにん) (はじ) めてこれに (こゝろ) づき、 (おどろ) いて () (あが) る。》
[乙二] おのれ馬盗人 (うまぬすびと) !  それを () い て () れへ () く?
[丙作]  (なん) ぢ や馬盗人 (うまぬすびと) ?   (らち) () (こと) をお () やるな! これは身 共 (みども) 先 刻買 (さいぜんか) う て、一度人 (どひと) に してやつた (うま) ぢ や。今見 (いまみ) れ ばまた (うま) () つて () るに () つて、 (ふたゝ) () (いへ) () いて () く。
[甲太] ナニその (うま) (ひと) () つた・・・・・・?
   《ト、甲太 (かふた) も 一 (しよ) () () て、 (おも) はず丙作 (へいさく) (かほ) () はす。丙作 (へいさく) きつと () て、》
[丙作] オヽ其方 (そなた) 先 刻 (さいぜん) (ひと) では () いか?
[甲太] 南無三宝 (なむさんぽう) 、 あの百 (しやう) か?
   《ト、 () (いだ) す、》
[丙作] さては汝等心 (なんぢらこゝろ) () はせて、身共 (みども) を一杯穿 (ぱいは) めたぢやナ。
[乙二] イヤ (わる) 買 人 (かひて) () たものぢや。
   《ト、これも () げ やうとする。》
[丙作] おのれ (にく) 詐 偽師奴 (かたりめ) () ぐるとて () がさうか。
[甲太][乙二] ゆるせ/\!
   《ト、よろめきながら () げ る。丙作 (へいさく) (うま) () きながら、》
[丙作] アノ横着者 (わうちやくもの) !   () (とら) へてくれい! やるまいぞ/\!
   《ト、 () () みて退場 (たいぢやう) 。》

(をはり)



雑誌「中学世界」 明治39年1月10日 作: 巌谷小波(いわやさざなみ)
大江小波の名で発表。
この戯曲は、歌舞伎 馬盗人(うまぬすびと) の原作となっている。

この作品は次でも公開されている。
(挿絵がないために、序文がその分カットされている。また、台詞も中学世界と違う部分がある。)
笑の国 休暇之友 馬盗人 巌谷小波 博文館 明治39年7月
近代デジタルライブラリー

Google Books


参考:
Type 1529 泥棒は馬に変えられたと主張する。
千夜一夜物語 388 間抜けといかさま師
ホジャの昔話 
歌舞伎 馬盗人
古典落語 仏馬

2013/5/11

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