オウィディウス 変身物語 IX ネッソスのシャツより (by A.S.Kline)

 ジュピター神の子、ヘラクレスが、新妻のデイアネイラと一緒に、生まれ故郷に行く途中、流れの速いエウエヌスの川へとやって来た。冬の雨で水かさは普段よりも高く、ところどころ渦が巻き、渡ることが出来なかった。もちろんヘラクレス一人ならば何も恐れるものなどなかった。しかし、花嫁のことが心配だったのだ。その時、ケンタウロス族のネッソスがやって来た。彼は手足が強くそれに浅瀬のことをよく知っていた。
「アルケイデスよ」ネッソスが言った。「彼女は向こうの土手にお連れしましょう。あなたは、その力を泳ぐのに使えばよい」
 テーベの男は、カリュドンの娘をネッソスに委ねた。彼女は川への恐怖と、ケンタウロスへの恐怖で青ざめた。

 ヘラクレスは、ただちに、矢筒とライオンの毛皮だけを身にまとった姿となり、こん棒と曲がった弓を向こう岸に投げて、こう言った。「渡るならば、川と戦わねばな」
 彼は躊躇することもなく、川の流れの穏やかな場所を探すこともなかった。彼は、川に対して忠誠を求めることを潔しとはしなかったのだ。ヘラクレスは向こう岸に到着して、そこに投げておいた弓を拾い上げていると、妻の悲鳴を耳にした。ヘラクレスは自分を裏切ろうとしているネッソスに向かって叫んだ。

「この痴れ者め。足の速さを頼みに妻を連れ去ろうとしても無駄だ。半人半馬のネッソスよ。私はお前に言っているのだ。よく聞くがよい。私のものに手を出してはならぬ。私に対してなんの敬意も払わぬとしても、父親のイクシオンのことを思い出せ。お前の親父の車輪の回転の刑を思えば、不埒な真似などできまい。お前がどんなに馬の速さを誇っても、逃れることはできぬのだ。私は足ではなく、"刺し傷"でお前を追いかけるのだ」

 ヘラクレスは弓を構えながら、最後の言葉を言い終えると矢を放った。そして逃げて行くネッソスの背中を貫いた。サカトゲのついた鏃が、ケンタウロスの胸から突き出た。ネッソスが矢の柄を引き抜くと、レルナのヒュドラの毒の混ざった血が、背中と胸の傷から同時に流れ出た。ネッソスはこれをおさえると、一人呟いた。
「復讐せずには死ぬものか」

 ネッソスは、自分のシャツに温かい血を染み込ませ・・・これは、消えかけた愛を蘇らせる力があるのだ。と偽って、デイアネイラに贈った。

:アルケイデスはヘラクレスの別名

(日本語訳 Keigo Hayami)


変身物語 下 中村善也・訳 岩波文庫

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