イギリスの昔話 トム・ティト・トット by James Balwin
むかしあるところに、おかみさんが住んでいました。ある日おかみさんは、一度に五枚のパイを焼きました。しか
し、パイをオーブンから取り出してみると、長時間焼きすぎてパイの皮はカチカチになっていました。そこでおかみさん
は娘のジェーンに言いました。
「ねえジェーン。このパイを棚のに上げておくれ。食べごろになるまで、しばらくそこに置いとくんだよ。そうすれば、
ちゃんと戻るからね」
おかみさんが、"戻る"と言ったのは、パイの皮が柔らかく戻るという意味だったのですが、しかし娘は頭が弱かった
ので、その意味が分かりませんでした。それで、しばらくすると、パイが食べ頃になったかどうか調べてみようと思い、
一枚食べてみました。そして二枚目も食べ、とうとう全部食べてしまいました。
「おかあさんだって、怒ったりしないわ」娘が言いました。「だって、どのくらい置いとけば、食べごろになるかなん
て、食べてみなけりゃわからないもの」
夕食の時間が来ると、気のいいおかみさんが言いました。「ジェーンや、パイを一つ持ってきておくれ。今時分なら、
パイはちゃんと戻っているはずだからね」
娘は行って棚の上を見ました。しかし、空の皿があるばかりでした。娘は浮かぬ顔をして戻って来ると、「おかあさ
ん。まだ、戻ってなかったわ」と言いました。
「一枚も戻ってないのかい?」おかみさんが言いました。
「一枚も戻っていなかったわ」娘が言いました。
「戻っていようがいまいが」おかみさんが言いました。「夕食に、食べないわけにはいかないよ」
「でも食べられないわよ」娘が言いました。
「食べられますとも」おかみさんが言いました。「パイの皮がなくたって、食べることにしたのだからね。だから、もう
一度行って、一番よさそうなのを、持ってきておくれ」
「一番よいのでも、悪いのでも」娘が言いました。「おかあさんは食べられないわよ。だって、パイたちが、もう十分に
棚の上にいたかどうか確かめるために、全部食べてしまったんだもの。でも、戻ってこなかったわよ」
おかみさんは、どうしていいやか分からないほど、かっかしました。というのも、娘はもう道理がわからない年齢では
なかったからです。
夕食を終えると、おかみさんは糸を紡ぐために、戸口へ行って座りました。そして、糸を紡ぎながら、ちょっと歌を
作って口ずさみました。
「あたしの娘は五枚食べた。五枚のパイを今日食べた。」
「あたしの娘は五枚食べた。五枚のパイを今日食べた。」
その時、王さまが通りをやって来ました。しかし、おかみさんはそのことを知りませんでした。王さまは、おかみさん
の家のすぐ近くまで来て、おかみさんの歌声を耳にしました。しかし歌詞がうまく聞き取れません。そこで王さまは扉の
前で止まって言いました。
「そこのおかみさんよ。なにを歌っているのかね?」
「自分で作った、ささやかな歌でございます」おかみさんが言いました。
「私に聞かせてみよ」王さまが言いました。
おかみさんは、娘の馬鹿さ加減を王さまに知られたくはありませんでした。そこでおかみさんはこんな歌を歌いまし
た。
「あたしの娘は五枷紡いだ。今日一日で五枷紡いだ」
「あたしの娘は五枷紡いだ。今日一日で五枷紡いだ」
「本当か?」王さまが叫びました。「今まで、一日でそんなにたくさん紡ぐことのできた娘の話など聞いたことがない
ぞ。そんなに素晴らしい娘ならば、この国一番の男の嫁になるのがよかろう」
王さまはそう言うと先へ進みました。しかし、少し行くと戻ってきました。
「ここに来てみよ」王さまが言いました。「この国で一番の男とは私のことである。私は妻をめとろうと思っていたの
だ。そこでだ。その娘を嫁に迎えることにする」
「まあ、それも悪くはありませんがね」おかみさんはそういいましたが、誰の目にもおかみさんが喜んでいるのがわかり
ました。
「だが、言っておくことがある」王さまが言いました。「一年のうち11ヶ月の間は、娘の好きな食べ物、好きなドレス
を何でも与える。そして、お付きの者もよりどりみどりだ。しかし、最後の一月は、毎日糸を五枷紡がねばならぬ。もし
できなければ、娘の首をはねることにする」
「ようございますとも」おかみさんが言いました。「どうぞ、娘をお連れ下さいませ」
おかみさんは、その婚礼がどんなに素晴らしいかと思い描いたのです。そして糸紡の方は、時間はたくさんあるので、
おいおい話せばよいことだろうし、それに、11ヶ月もの間には、王さまは、約束を忘れてしまうかもしれないと思った
のです。
次の日、王さまとジェーンは結婚しました。そして十一ヶ月の間、若い女王さまは、好きなものを食べ、好きなドレス
を着て、好きなお供を従えました。しかし、十一ヶ月の終わりが近づくと、娘は五枷の糸紡について考えるようになり、
王さまは覚えているかしら? と気になりはじめましたが、王さまは、糸紡について一言も話さなかったので、娘は、
きっと王さまは、約束を忘れてしまったのだと思いました。
しかし王さまは忘れてはいませんでした。十一ヶ月の最後の日に、王さまは、今まで見たことのない部屋へ、娘を連れ
て行きました。そこには、糸車と椅子のほかは何もありませんでした。
「さあ、ジェーン」王さまが言いました。「お前は、明日、わずかな食糧とともにここに閉じ込められるのだ。そして亜
麻があたえられる。もし夜までに、五枷紡ぐことができなければ、お前の首ははねられるのだ」
王さまはこう言うと娘を残して出て行きました。
可愛そうに、ジェーンはどうしてよいやら分かりませんでした。彼女は、役に立つことはなに一つとして知りませんで
したから、糸の紡ぎ方すら知らなかったのです。では娘はどうしたでしょう? 娘は椅子に座ると、可愛そうに、涙に暮
れたのでした。
すると突然、トン・トン・トン、と、ドアの下の方をノックする音が聞こえました。娘は頬を流れる涙をぬぐうと、椅
子から立ち上がりドアを開けました。するとそこには、気味の悪い黒くて小さな魔物がいたのです。その魔物には、細く
て長い尻尾がありました。そして魔物は、不気味な笑みを浮かべて娘を見上げて言いました。
「ジェーン。何でそんなに泣いているんだい?」
「そんなこと、あなたに何の関係があるの?」ジェーンは腹立たしげに言いました。
「まあ、いいじゃないか」その小さな年老いた魔物が言いました。「でも、何でそんなに泣いているのか、俺に話してみ
なよ」
「あなたに話したからって、いいことなど何もないわ」娘が言いました。
「お前は、どんな素晴らしいことがあるか、知らないだけなんだよ」魔物はそう言うと、長い尻尾をぐるんぐるん、頭の
上で回しました。
娘は、魔物の不気味な年老いた顔を見て、もしかすると彼が助けてくれるかも知れないと思って、こう言いました。
「話をしたからといって、得するわけではないでしょうけど、でも、損をするわけでもないわね」
こうして娘は、パイのことや五枷の糸を紡ぐことや、王さまのことや、その他全てのことを話しました。
「じゃあ、お前が泣いていたのはそれが原因なのか?」魔物が言いました。「さあ、こっちを見るんだ。そして俺の話を
よく聞くんだ。毎朝俺は窓辺にやってきて、そして亜麻をもらって行き、夜になったら糸を紡いでお前に届けてやるよ」
「報酬は何が望み?」娘がたずねました。
「俺の名前を当てられたら、なにもいらないよ。毎晩、三回、チャンスをやるよ。でも、月末までに当てられなけりゃ、
山の中の暗い穴ぐらにお前を連れ去るからな。これが条件だ。何かいうことはあるか?」
娘は月末までには、この魔物の名前くらい言い当てられると思い、こう言いました。
「わかったわ。そのとおりにしましょう。じゃあ、明日やってきて、亜麻を持っていってちょうだいね」
「よし決まりだ」魔物はそう言うと、するとどうでしょう。尻尾をビュンビュン振り回しました。
次の朝、お日さまが顔を出すとすぐに、王さまは、ジェーンを例の部屋へと連れて行きました。そこには、亜麻と少し
の食糧が用意されていました。
「愛しいジェーンよ」王さまが言いました。「ここに糸車と亜麻がある。今夜、私が会いに来るまでに、五枷紡いでしま
わなければ、お前は頭を失うぞ」王さまはそう言うと部屋に鍵をかけて行ってしまいました。
ジェーンは椅子に座り、以前にも増して激しく泣きました。すると、トン・トン・トン・と窓を叩く音が聞こえまし
た。
娘は飛び上がり窓を開けました。すると、小さな年寄りの魔物が窓の下枠のところにいたのでした。
「亜麻はどこだい?」彼が言いました。
「亜麻はここよ」ジェーンはそう言って、魔物に亜麻を渡しました。すると、ジェーンの涙も乾きました。
夕方、娘は再び、トン・トン・トン・と、窓を叩く音を耳にしました。娘は跳ね起きて窓を見据えました。するとそこ
には、五枷の亜麻糸を抱えた、小さくて年老いた魔物がいたのでした。
「さあ約束の品だ!」彼はそう言って、娘に糸を手渡しました。「じゃあ、俺の名前を当ててみろ」
「ビルかしら?」彼女が言いました。
「いや、違うね」彼はそう言うと、尻尾をブルンと振り回しました。
「それじゃあ、ネッドかしら?」これが娘の二番目の答えでした。
「いや、違うよ」彼はそう言うと、尻尾をブルンと振り回しました。
「それじゃ、マークじゃない?」これが娘の三番目の答えでした。
「ハッハッハッ! 全然違うよ」彼はそう言うと、とても速く尻尾を振り回し、飛んで行ってしまいました。
それからしばらくして、王さまが部屋にやって来ました。そこには、五枷の亜麻糸が、王さまのために、ちゃんと用意
されていました。
「なる程、今回は、首をはねられずにすんだようだね」王さまが言いました。「でもね、明日また、試すのだからね」
こうして毎日、娘のところに亜麻が運ばれ、毎日魔物もやってくるのでした。そして、ジェーンはといえば、夕方魔物
が亜麻糸を持ち帰ったときに、彼の名前を言い当てようと、一日中椅子に座って、新しい名前を考えているのでした。魔
物の表情は、日ごとに、嬉しくてたまらないといった様子で、そして、彼女が間違えるごとに、尻尾をどんどん速く振り
回すのでした。
とうとう、あと残り一日となってしまいました。その夜魔物は、五枷の亜麻糸を持ってきて、娘に渡すと、ゲラゲラ笑
いました。
「ジェーン。今夜も俺の名前を言い当てられないのかな?」
「ダニエルじゃない?」娘が尋ねました。
「いや違うよ」彼が言いました。
「それじゃ、ゼデカイヤじゃない?」
「違う。違う」
「じゃあ、きっと、メソザラよね?」
「違う。違う。違う」
魔物は、ウインクするとニヤリと笑って言いました。「明日は最後だ。わかっているだろうな」彼はそう言うと、尻尾
を物凄い速さで振り回して、飛んで行きました。
ジェーンは椅子に腰をかけると、泣こうと思いました。しかしその時です。娘は、王さまがドアのところへやって来た
のに気づきました。そこで娘は涙をとめました。
王さまは部屋へとやって来ると、五枷の亜麻糸を見て言いました。「完璧だ。ジェーンよ。そなたは、この国で一番の
男を手に入れたのだ。そして、その男はそなたを誇りに思っておるのだよ。明日、最後の五枷を紡げば、そなたは自由の
身だ。そこで、今夜はそなたと共に夕食を食べることにするぞ」
召使たちが夕食と、王さまの椅子を運んでくると、二人はテーブルにつきました。
王さまは一口食べると、すぐに食べるのをやめて、笑い出しました。そして、余りに笑いすぎて顔が真っ赤になりまし
た。ジェーンは、王さまが息が詰まってしまうのではないかと思いました。
「なにがそんなにおかしいのですか?」娘が言いました。
「あることを思い出していたのだ」王さまは息をつくとすぐこう続けました。「今日、森へ出かけたのだがね。そこで、
とてもおかしなものを見たのだ。こんなおかしな話は、そなたも今まで一度も聞いたことがあるまいて。そやつを見つけ
たのは、今まで行ったことのない、山の近くだった。そこには、岩と岩との間に深い穴があり、そしてその底の一方の面
には小さな横穴があいているのだ。・・・そなたは、あんな不気味な場所など見たことはないだろうがな。私がそこを通
り過ぎようとすると、何か鼻歌のようなものが聞こえてくるのだ。なんだろうと不思議に思い、私は気づかれぬようにそ
おっと、その穴のふちに行ってのぞき見たのだ。そこで何を見たと思う?」
「さあ、見当もつきませんわ」ジェーンが言いました。
「それは、そなたが一度も目にしたこともないような、気味の悪い小さな黒い魔物であったのだ」王さまが言いました。
「そなたも話では聞いておろう。そやつは、山に住んでいる魔物で、自分たちの姿を誰にも見せないのだ。しかし、そや
つのおかしかったのは他でもない、小さな糸車でもって、鼻歌を歌いながら糸を紡いでおるのだ。それもありったけの速
さで・・・。そして、糸車の回る速さと同じ速さで、奴は長い尻尾をぐるんぐるん振り回しているのだ。しかも、紡いで
いる時に、とてもおかしな歌を歌っておるのだ」
「名前は何だ。誰も知らぬ」
「俺の名前は、トム・ティト・トット」
こうして、王さまは椅子によりかかって、笑いに笑って、そしてまた笑いました。
ジェーンは、嬉しさのあまり、叫び声を上げたかったのですが、パイを五枚食べたときよりも、今は利口になっていま
した。それで娘は、王さまに合わせて笑い、余計なことは一言たりとて話しませんでした。
次の朝、魔物が亜麻を取りにやって来ると、本性をあらわにして、悪意に満ちた高慢な態度で言いました。「これで最
後だよ」彼がこう言うと、ジェーンに亜麻を渡しました。
「分かっているわよ」娘が言いました。「あたしにとって素晴らしい日だわ」
「俺は、今日お前を連れて行くんだぞ」彼が言いました。
夜になると、魔物がやって来て、窓をたたきました。ジェーンが窓を開けると、魔物は真っ直ぐ入ってきました。
・・・さあどうでしょう。彼の笑い方といったらありません。そして、ああ、なんていうことでしょう。彼の長い尻尾
の回転の速さといったら・・・。彼は娘に五枷の麻糸を渡すと、これ以上ないというほど嫌らしく言いました。
「俺の名前はなんだ?」
「ソロモンかしら?」娘は、さも恐ろしげに言いました。
「ハッハッハッ。もちろん違うよ」彼はそう言うと、ぴょんぴょん飛び跳ねて、部屋の周りを歩き回りました。
「それじゃあ、アレクサンダーかしら?」娘は、今度はブルブル震える振りをしてが尋ねました。
「ヒ・ヒ・ヒ」彼は叫びました。「全然違う」そして、彼は両腕を娘にのばし、そして、今にも燃え出しそうな速さで、
尻尾を回しました。
娘は一歩あとずさると、彼の気味の悪い小さな両目を真っ直ぐに見据えました。そして娘は、彼に指をつきつけて言い
ました。
「名前は何だ。誰も知らぬ」
「俺の名前は、トム・ティト・トット」
魔物は、娘の言葉を聞くと、すさまじい叫び声をあげて、暗闇の中へと飛んでいってしまいました。そして、ジェーンは
二度とそいつに会うことはありませんでした。
(日本語訳 Keigo Hayami)
James Balwin 編を基に訳したが、一部 Joseph Jacobs 編を取り入れた。
Type 500 援助者の名前 (Titeliture, Rumpelstilzehen,
Tom-Tit-Tot)
イギリス民話集 p123 (河野一郎 編訳 岩波文庫)
KHM55 がたがたの竹馬こぞう
KHM14 糸くり三人女
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