古典落語『仏馬』について

現在「仏馬」という落語は、高座にかけられることは殆どないそうです。話の筋は次の通りです。

仏馬(今村信雄編「落語全集」金園社)参照

 弁長と西念の二人の僧侶がお布施をたくさんもらい、寺へ帰る途中のことである。
 西念が遅くなるから早く帰ろうと促すが、弁長は僧侶の身でありながら酒に酔って、土手で休もうと腰をおろす。と、そこに、馬が繋がれている。
 これはよいと、弁長はその馬に荷物を乗せる。そして、西念に帯びを解くように言いつける。そして、馬の手綱を解いて代わりにその帯を結びつけて、それを曳いて寺へ帰るようにと言いつける。
 弁長は、酔いがさめるまで、一眠りしようと、その場に横になるのだが、すぐ側に川が流れていることに気付き、落ちたら大変だと思い、木に結びつけてある馬の手綱を、体にくくりつけて、川に落ちないようにして寝る。
 それからしばらくして、馬の持ち主が戻って来ると、手綱には馬の代わりに坊さんが結ばれている。
 弁長は馬の持ち主に起こされて、早いところ立ち去ればよかったと後悔するが、こうなったら仕方が無い。

弁長「わたしは、あなたが飼っていた馬なのです」
男 「馬の黒がどうして坊さんに化けたんだ?」
弁長「実はわたしは前の世に弁長という出家だったのですが、身上が悪いのでお釈迦さまの罰をこうむり、この世に馬になって生まれたのです。ご縁があって長らく飼ってもらいましたが、難行苦行を積んだおかげで、お釈迦さまのお怒りが解け、元の出家の体に戻りました」
男 「それは不思議なこともあるものだ。今日は、死んだおふくろの祥月命日だから、家へ一緒に来てお経の一つも上げてもらいたい」
弁長「わかりました、どうぞ一緒にお連れ下さい」

 弁長は男の家へとやって来て、経文を唱える。そしてそのお礼にと食事が用意される。男が一人で酒を呑みだすと、弁長も酒が呑みたくなり、お釈迦さまが今日だけは酒を許すと仰った。と言って、酒を呑み、ベロベロに酔っ払い、男の娘に酌を頼んで、手を引っ張たりなどして、男にたしなめられる。ばつが悪くなった弁長はそのまま眠ってしまう。
 翌朝、挨拶もそこそこに寺へと帰る。寺へ帰ると師匠にあの馬はどうしたのかと尋ねられて、重い荷物を背負って歩くのは大変だろうと、もらいました。と言い訳すると、この寺で飼うことは出来ないので、市で売ってくるように言われる。

 弁長が市で馬を売って寺へ帰ると、先の男は、馬がいなくなって不自由なので、代わりの馬を買おうと市へやって来ると、昨日まで飼っていた馬がそこに売りに出されている。

「おかしなこともあるものだ、おらの馬にそっくりだ。ああ、黒にちげえねえ、左の耳に白い差毛がある。これがたしかな証拠だ、黒だ、弁長さんだ、オイ弁長さん、せっかく人間になったのに、酒飲んだり女子をからかったりして、またお釈迦さまに罰当てられて馬になったな」
 と、馬の耳に口寄せて、大きな声を出すと、馬はどう思ったか、首をヒョイと横に振った。
「ハハハハダメだよ。いくらとぼけても、左の耳の差毛で分かるんだよ」

この噺と瓜二つの民話がハンガリーにあります。

ハンガリー民話集34『呪われた修道士』
(オルトゥタイ 徳永康元・石本礼子・岩崎悦子・粂栄美子 編訳 岩波文庫)参照

 あるとき、二人の修道士が村に施しものをもらいに出かけたところ、たくさんの施しものをもらい、帰る途中に重みで袋が破けてしまうほどだった。汗だくになって二人が歩いていると、道沿いに立つ梨の木陰で、一人の羊飼が眠っているのが目にとまった。その傍ではロバが居眠りしていた。

 修道士の一人が、もう一人に言った。
 「なあ、ミシュカ、神さまのためとはいえ、この荷物を運ぶのは、もううんざりだ。ひとつ相談があるんだが、二人であの羊飼のロバを盗み、背中に籠をのせて運ぶというのはどうかねえ。僧院長には、ロバは借りたものですと言えばいい。そのあと、ロバを持ち主に返しに引き返し、途中で売りとばしてそのお金で楽しくやるのさ」
 「そりゃ、そうできれば、願ってもないことだね、パルコー」もう一人が答えた。
 「だがな、もし、あの羊飼が目を覚ましてしまったら、あの鉤型の棒で、背中の皮が剥がされるほどの土産物をもらうことになりはしないかい」
 「心配するな、ミシュカ」パルコーが言った。
 「わたしに任せてくれ」

 二人の修道士は羊飼に近づき、そこで初めてロバの手綱が羊飼の手の指に結びつけられているのを知った。ミシュカが言った。
 「ほら、盗めやしないよ、手に縛ってあるだろう。ほどいたら、目を覚ますさ」
 「馬鹿だなあ、ほどく必要なんてないさ」パルコーが言った。「ここに、わたしの聖衣の帯びがある。これをロバの首に結び、君が引っ張って行くんんだ。君の帯びを使って、二つの袋を鞍にくくりつけるんだ。わたしは、首にロバの手綱を結び、羊飼が目覚ますまでここに残る。君は一人で先に行き、二人揃って僧院に戻れるよう、町で待っていてくれ」

 筋書どおりに事は運ばれ、パルコーは首に手綱を巻き、ミシュカはロバに荷を積んで、のんびり帰路についた。
 ミシュカがそろそろ町に着く頃だな、そう考えたパルコーは、何回もため息をつき、手綱をつかんで、くり返し羊飼の手を引っ張った。羊飼は目を覚まし、二度、三度と目をこすり、ぽかんとした顔で修道士を見つめた。そのうち、やっと口を開き、神妙な顔つきをして、不思議そうに問いかけた。

 「はあて、お坊さまよ、一体どうしておいらのロバの手綱の中に入ったんですか?」
 修道士は恥ずかしげな表情を浮かべ、大きくため息をついて、話し始めた。
 「羊飼よ、わたしは、とても不幸な目にあったのだ。七年前のことだが、わたしは母親と口論し、呪いをかけられ、ロバになってしまった。そして、その呪いが、たった今解かれ、再び修道士になったのだ。わたしを自由にするか、しないか。羊飼よ。それは、あなた次第だ。もし、わたしを自由の身にしてくれたなら、生きている限り、毎日、あたなのために祈ってあげよう」
 「そりゃあ、もう自由にしてあげますとも」
 羊飼は気の毒そうにそう言った。お坊さまをここに縛りつけておくわけにはいきません」 
 そう言いながら、羊飼は修道士の首から手綱をはずし、酒筒から酒を一杯振るまった。

 修道士は酒筒の酒を一気に飲み、急いで相棒の後を追った。村から戻った二人は、僧院長に施しものの中味を報告した。僧院長は、勤めに励んだ二人をほめ、食事でもてなし、ロバは朝早くに返しに行くよう、そして、自分に代わって充分に礼を言ってくるよう、命じた。

 二人の修道士は、翌朝、夜明けとともにロバを引いて出発し、丁度、市が開かれていた、一番近い村に向かった。村へ行く途中で、一人の馬商に出会い、ロバをこの馬商に売った。
 昼頃には、二人の修道士にロバを盗まれた羊飼も市にやって来て、別なロバを物色していた。市場の中を歩き廻っていた羊飼は、ふと、自分のロバを目にとめ、帽子を取るや、そばに近寄り、耳もとで囁いた。
 「困ったもんだね、尊敬するお坊さま! またおふくろさんとけんかしたんですかい? 今度はもう、買わないからね、二度と買わないよ。おふくろさんを敬えないような人間は、ロバのままでいるんだね。神のご加護がありますよう!」そう言うと羊飼は、別のロバを探しに、立ち去った。

 両者を比べてみますと、大変よく似ており、これは、翻案というよりも翻訳と言ってよいくらいに似ています。しかし、明らかな違いもあります。ハンガリー民話では、驢馬の手綱は羊飼の手に結ばれていますが、落語では、馬は木に繋がれています。

 そして、この点について、両者には話の運びにそれぞれ不自然な点が見られます。ハンガリー民話では、僧侶は羊飼の手に結ばれた手綱に自分の首をつなぎますが、一体なぜわざわざそんなことをするのか? 理由が見当たらないのです。こんなことをせずに、二人とも逃げてしまえばよいはずです。

 この点、落語の方では、酔っ払っていたので、酔いを覚ますために、寝ようとしたら、川が流れていたので、落ちないように、木に結ばれていた手綱を体に結びつけた。ということで、それ相応の理由付けがなされています。しかし、古典落語では、このような話になっているために、更に根本的な問題が生じています。それは、そもそも僧侶は、どうして手綱の結び目を解くのに、木の結び目を解かずに、わざわざ、馬の方の結び目を解いて、それに帯びを結びつけたりしたのか? という点です。

 馬の首の結び目を解くという行為は、木の結び目が、何らかの理由で解くことができないという前提なしには成り立ちません。(ハンガリー民話では、木ではなく羊飼の手につながれていたので、それを解くことができなかった)
 恐らく、古典落語の原話でも、ハンガリー民話のように、馬は飼主の手につながれていたのではないでしょうか? そして、「僧侶が自分から手綱につながれる」という部分をうまく理由づけしようとするあまり、根本的な問題が生じてしまったのかも知れません。あっちを立てればこっちが立たずというところでしょうか。

 しかし、考えてみますと、「二人の男が馬を盗んで、一方がその手綱に繋がって残る」というような設定はもともと不自然なのです。これに、合理的な理由付けをしようとするのが無理なのかもしれません。しかし、次のような話ならば、なんとなく納得できます。

ナスレッディン・ホジャ物語 (護雅夫訳 平凡社東洋文庫38)

 ホジャの驢馬が死に、奥さんが、新しい驢馬を買って来てよ! と、亭主を急きたてた。ホジャは市場へ出かけていって、一頭買った。手綱を曳いて連れて戻るとき、村の悪たれ二人が、そっと驢馬の首紐を解いて、驢馬だけ盗ってしまった。ホジャはぼんやり歩いていて、それに、ちっとも気がつかなかった。

 泥棒の一人は、驢馬をこっそり市場へ連れてって売り払ってしまった。もう一人の方は、首紐に自分の首を通し、ホジャに曳かれて、門口までやって来た。ホジャが、さあて、と、振り返って見ると、驢馬じゃなくて、見知らぬ男が立っているので、びっくりして、

「おい、お前は誰だ?」
 と訊いた。相手は神妙そうにうなだれて、
「はい、旦那。とってもひどいことで、なんとも言いようがございません。母親のそばで、アホなことをやらかして、大変困らせたんで、母親があっしに呪いをかけ、「お願いです、神さま。この子を驢馬にして下さい!」と申しますと、みるみる、あっしは驢馬のかたちになってしまったんです。そして市場に売りに出されました。ちょうど、そのとき、旦那があっしを見て、買われたというわけで、へえ。うまいことに、旦那のお蔭で、また人間にかえれました」
 と、くどくど喋りだした。ホジャは笑い笑い、「ならば、そら行け。二度とこんなアホをするんじゃない。おっ母さんの言うことを、よくきくんだぞ」
 と言い聞かせた。そいつは、ホジャに礼を言って、出てってしまった。

 あくる日、ホジャが市場へ行くと、何と、昨日自分の買った驢馬が、市場を歩き回っている。ホジャは自分の驢馬と知って、すぐさま、耳に口寄せて、
「この悪戯小僧め!」と言って、「察するところお前は、儂の言うことを聞かずに、またまた、おっ母さんを怒らせたんだな!」

 先の古典落語やハンガリー民話では、盗人の僧侶にかなりのウエートがかかっていましたが、この話では、驢馬を盗まれるホジャに重きが置かれています。
 ホジャは、トルコではとても人気があり、日本の「一休さん」のような頓知の大家なのですが、しかしそれだけでなく、間の抜けたところのある、キャラクターなのです。ですからこの話でも、「泥棒がいかに驢馬を盗むか?」ということよりも、「ホジャがどのように驢馬を盗まれたか?」というそのホジャの騙されぶりに主眼が注がれるため、泥棒はホジャをからかうために、わざわざ自分からつながれたのだ。という風な解釈も可能で、あまり不自然さを感じないのです。

 さて、こうしてみますと、この三つの話の中で、一番原型に近いのは、ホジャであり、その翻案がハンガリー民話であり、さらに、そこから古典落語となったように思われます。もちろん、これらが直接繋がっていると言っているのではなく、そのような流れがあるというこということです。(古典落語の根本的な不備についても、古典落語が手本とした話自体がすでにそのような話になっていた可能性もあります)

2001/03/03

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